「父・吉田政雄の葬儀における喪主のご挨拶」 いわき市・山光堂メモリアルホールにて
2015年03月13日
  • 本日は、お忙しいところ、また遠路はるばる、吉田政雄の葬儀にご参列をいただき、誠に有難うございました。また生前賜りましたご厚誼に、あらためて深く感謝を申し上げます。

 

  • 昨年暮れに総選挙がありましたが、それ終わった後、12月の末に父は腹部の不調を訴えて共立病院に入院しました。4年あまり前に大腸がんを手術しておりますが、それがまた大きくなって腹膜炎をおこしているとのこと。しかし92歳の高齢でもあるし、様子を見ましょうということになりました。その後入退院を繰り返しましたが、3月6日に昏睡状態となり、その日のうちに、旅立ちました。前の日に煎餅をひとかけら食べて「満足だ」と言ったのが、人生の最後の言葉になりました。

 

  • 元々は茨城県日立市滑川浜・大和田家の三男、七人兄弟の末っ子として、大正11年に生まれました。日立中学を出て日本鉱業の銅山で働いていましたが、二十歳のとき徴兵入隊して、満州さらには南方へと回り、パラオ本島で終戦を迎えました。終戦後、二十六歳の時に平・根本園の吉田トシと見合い結婚、我々三人の子を育てながら、家業の根本園、さらに晩年は区内会や八幡神社の仕事に精を出してきた人生でありました。折しも今年、根本園は創立百周年、それを見届けて旅立ったわけです。つい最近まで5代目の孫の達生を助け、店番をしていた姿がなつかしく思い出されます。

 

  • 私から見た父は、末っ子らしい無邪気さを持ち続けながら、色々な人と楽に付き合うタイプでした。やるだけやってダメならパッと諦めて引きずらない。そして人生哲学は「のんびりやるべし」。大和田家の実父は消防団長をやった人で、しょっちゅう家に人が集まっていたそうですが、そこで陽気な酒の飲み方と、おはこの大洗・磯節を覚えたようです。

 

  • そんな父をいま失ったわけですが、「満足」と言って去ってくれたので、寂しさの中にもどこか清々しさがあります。また家業を精一杯やり遂げ、我々に対して色々とやさしく教えてくれ、励ましてくれたことに対し、みな感謝の気持ちで一杯であります。

 

  • いずれにしろ父は寿命を全うして旅立ちました。ご参列の皆々様におかれては、残された我々対しても、どうぞこれまでのようなご厚誼を引き続き賜りますよう、心からお願いを申し上げます。最後に、ご参列に対し重ね重ね御礼を申し上げ、喪主としてのご挨拶とさせていただきます。本日は誠に有難うございました。

 

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