「丸山智美さんを偲ぶ会 」 いわきワシントンホテルにて
2014年10月05日
  • 今は亡き丸山智美さんの御霊に、心から哀悼の誠を捧げます。 丸山さんと初めてお会いしたのは今から十五年前でした。当時私は市会議員を務めており、その母体である「いわきを変えるゾ市民の会」に、塩見幸子さんのご紹介で常勤スタッフとして入っていただいたのが、丸山さんでした。 その後、私は市会議員から民主党の国会議員への道を進むことになりましたが、その私と一緒に、丸山さんも民主党福島第五総支部に移ってくれ、それ以来そこの常勤スタッフとして誠心誠意、一生懸命、働き続けてくれました。 今年の七月末には、国会議員十周年の大きな集まりを開いていただきました。丸山さんは、それを十分に仕切ってくれた後、八月から休む日があるようになり、九月八日には自宅で倒れ、福島労災病院に入院、その四日後の九月十二日になんと急逝ということになってしまいました。 一年前から軽い眩暈を訴え脳腫瘍の通院治療をしていた丸山さんにとって、十周年のイベントが命を縮める一因になってしまったのではないか、申し訳ない想いが残ります。

 

  • 私にとって、丸山さんは病院に例えれば看護婦長さんのような存在でした。政治の事務所ですから、ビックリするような電話もかかってきます。しかし丸山さんはひるむことなく、ゆっくりした口調で、にこやかに対応してくれました。度胸があったのだと思います。 また曲がったことが大嫌いの正義派でした。正義感が強くて事務所に来てくれる人とぶつかることもあった位でした。 一方で好きな政治家は一に小沢一郎、二に吉田泉と、幅広かったのも彼女の人間性かと思います。一緒に働いていた鳥居、須藤、長瀬の三人にとっては、実社会におけるお母さんのような存在でした。特に丸山さんの後を引き継ぐ須藤さんにとっては、新卒社会人として茗荷屋株式会社に入社した時以来の先輩だったとのこと。丸山さんの明るくそしてしっかりした仕事ぶりをきちんと引き継いでくれるものと思っております。 また事務所の仕事を助けていただいた「折姫」という名前のシニアグループの皆さんからは、会話が弾む、妹のような存在として、大変可愛がられていた様子が鮮明に思い出されます。

 

  • 丸山さんは一九四六年九月五日、いわき市四倉に十人兄弟の末っ子として生まれました。四倉高校を卒業後、東京オリンピックの翌年になりますが、高度成長真只中の東京に行き、首都高速道路公団に入社、結婚もして裕君と奈津子さんの母となりました。その後いわきに戻り茗荷屋勤務を経て、我々の事務所に来てくれた次第です。お二人のお子さんも今や立派な社会人として、仙台でそして東京で大活躍中です。

 

  • 明るくしっかり者のまるちゃん、長い間本当にご苦労様でした。 有難うございました。あなたの御恩を私達忘れることはありません。どうぞ安らかにお眠り下さい。そして高い所から、われわれの活動をお見守り下さい。あらためて心からご冥福をお祈りして、弔辞といたします。

 

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