ひとやすみエッセイ◆7◆「夏の思い出」
2015年10月08日

 今年の夏は大変暑く雨も少なかった。そんな中、父の新盆だったこともあり、お盆の前は連日実家に行って、汗をかきながら片付けや準備をした。幼稚園に行っている孫(男の子)も夏休みなので、毎日顔を合せる。暑いので水遊びばかりしている。遊びながら「ジージー何かやろう?」と言うので「よし、何かいい考えを出そう」「うん」・・・「いい考え出た?」「水撒き用のシャワーを使って、アヒルの赤ちゃん人形を動かすのはどうだ?」「じゃウォータースライダーとジェットコースターにしよう?」「まず設計図が必要だ」「わかった!」と言って、何やら流れるプールのような図面を書いてきた。

 真夏のプロジェクト、設計は決まったので、材料集めに取り掛かる。まず孫が赤ちゃんの時に使った小さな滑り台が倉庫にあったので、それをレンガの上に載せてジェットコースターということにした。滑り落ちてくるアヒルが着地する所には、昔のカナダライを置いてプールにした。問題はウォータースライダーだ。ペットボトルをハサミで切って繫いだが、うまくいかない。実家はお茶屋で、ちょうど廃棄したばかりの古いお茶詰め機械の筒先が4本ばかり庭先に置いてあった。それを針金でしばって繫いだらウォータースライダーみたいなものになった。それをフェンスに括りつけ、スタート台になる板を載せ、滑り台とプールをつないで、プロジェクトは3日がかりで完成した。

 スタート台に赤ちゃんアヒルを載せ、後ろからシャワーで押してやったら、赤ちゃんは4本の筒の中を潜り抜け、滑り台を滑り落ち、空中を飛んで、無事カナダライに着水した。「成功だ!」「うん」・・・「じゃーまた別のを作ろう」「えーっ」「早くいい考え出して!」「よーし」しかし、お盆がやって来て、終わって、涼しくなって、幼稚園も始まり、結局あれが今夏一番の思い出プロジェクトになった。

 8月某日、ある老人福祉施設の皆さんの納涼会にお呼ばれして、楽しいひと時を過ごす機会があった。私の前に座っていたしっかりした感じの女性から「吉田さん、私は以前べつの施設で働いていたんですが、そこに来たことあるでしょう」「ああ、ありますよ。そこでうちの母がお世話になっていたので」「お母さんはカタカナでトシさんですか?」「そうですよ」「うわー懐かしい!私が担当だったんですよ」「ええ?そうですか!お世話になったね~。最後は目を閉じたままで、お話も出来なかったから、随分と迷惑かけたでしょう」「いいえ、そんなことより懐かしいの一言です。毎日スキンシップをしていると、お話は出来なくてもそうなるんです」「うわー有難う」

 3年半前に亡くなった母は、晩年の数年間を施設のお世話になった。極力顔を出そうとしたが、目を閉じたままなので、会ってもほんの10分位で引き上げることが多く、施設任せだった。色々迷惑を掛けたのだろうと陰ながら心配していたのだが、お世話していた介護士さんに「懐かしい」「いい人でしたよ」と言っていただいて、何か心のつかえが取れたように感じた。そう言えば、その施設の壁には「年寄りの知恵に学び、ささやきに耳を傾けよ」と書いた紙が張ってあった。介護士さん達は耳を傾けてくれていたのだった。暑かったけれどいい夏が、終わった。

(りいど27年10月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆6◆「それなりの工夫」
2015年09月15日

「人間に必要なのは栄養・休養・教養だ」という名言がある。それに加えて色々な健康法も欠かせないだろう。長年やってきた私のそれなりの工夫を書いてみる。

■ 朝床腹筋

まず目が覚めたら床の中で寝たまま腹筋運動。両足を軽く上げて自転車をこぐように回す。約100回。これを続けると自然にお腹が凹んでくる。熟年向き。

■ 首・顔タオルマッサージ

「風邪は首からひく」と言われるが、それなら首を鍛えれば良いのでは、と考えて始めたら、効果絶大。タオルを両手に持って首の後ろを左右にこする。そのあと顔もこするとピカピカ顔になる。全世代向き。

■ 歯には塩

若い頃の外国勤務時代、異国の地で虫歯になると面倒だと思って随分丁寧に歯磨きをした。しかし数年たって一時帰国して診てもらうとやはり虫歯が見つかった。どうも歯磨きだけではダメだ。そこで大正生まれの父に聞いてみた。「軍隊に行った時、歯磨きはどうしてた?」「指に塩をつけてゴシゴシやっていた。それだけで虫歯にならなかったなー。」歯ブラシは言わば物理的な手法だが、殺菌力のある塩を使うのは化学的手法と言えるかもしれない。以来その二つを併用し、虫歯から免れている。そのことを専門家に聞いたことがある。しかし歯磨きで十分ですよとアッサリ言われてしまったのは何だったのか。好事家向き。

■ スクワット

中年の頃よくギックリ腰を起こしてマッサージに通った。その後同病の先輩からスクワットを進められ、それで完全にギックリ腰から卒業出来た。タイミングは朝のトイレに入った時、しゃがみこむ前に30回やる。手を軽く腿のところに置き、胸と膝とつま先を一直線に揃える格好でやると安定的に出来る。腰の筋肉を鍛えることでギックリ腰を防ぐのだと思う。中年向き。

ちなみに朝のトイレには365日行く。47才で市会議員の選挙に出た時に朝済ませた方がよいと思って以来、もう20年近く、年に365日やり遂げている。やれば出来るとはこのことかと思う。ことが済んだら、今日も有難うと思わず下半身に声を掛ける。

■ 中国式目の体操

 中国の小中学校では皆この体操をやっている、だから中国人に目の悪い人はあまりいない、との話を雑誌で読んで以来、なるべく頻繁にやるようにしている。おかげで65歳の時の運転免許書き換えも裸眼でパス出来た。その体操は①まゆ頭の下のくぼみを親指で押す、②目頭の下を人差し指で押す、③頬の中央部を人差し指で押す、④目の周囲を人差し指側面の第二間接でマッサージする。この4つ。押しているうちにみるみる視力の回復を実感できる。全世代向き。

 以上のようなことではあるが、さらには早寝早起きして運動に精を出し、かつ暴飲暴食はしないで、その上クヨクヨしないで機嫌よくしていれば、申し分ない。健康長寿人こそ人生のエリート、皆の目標だ。

(りいど27年9月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆5◆「音楽の恵み」
2015年08月13日

大震災から4年余り、「福島の復興は長期戦、気力・体力の維持こそ基本課題だ、元気を出していこう」という試みが色々となされている。

その一つが「スマイル アゲイン フロム イワキ」という合言葉で毎年続けられている市民によるコンサートだ。主役は「ジャミン ゼブ」という男性4人グループ。平均年齢31歳、平均身長180センチ、全員日本人だが3人はハーフ。そのスタイル、英語の発音、ジャズを中心にした選曲に、何か新しい日本人の出現を見たような気がした。会場の大半は女性、平均年齢は詳しく計算できなかったが、いずれにしろ大盛況。「毎年上手になっているわ」と、ある女性が彼らの成長を楽しむように言っていた。

ジャズやゴスペルなども大変良かったが。会場が一番元気をもらったのはハワイアンだったのではないか。地元の女子中高生5人のチーム「ウイラニ ホアヘレ」が賛助出演し「月の夜は」をバックで踊った。その健気な笑顔に、この4年間を乗り越えてきた若い力を感じ、感動した。割れんばかりの拍手が起こった。

さてこの数ヶ月、夜寝入る時に音楽を聴いている。中心はバッハ・モーツァルト・ベートーベンだ。若い頃からグレングールドというピアニストのバッハを聴いてきたが、最近読んだ本の中に「バッハの平均律クラヴィーア曲集が音楽の『旧約聖書』だとしたら、『新約聖書』はベートーベンのピアノソナタ曲集である」という言葉を見つけた。それでバックハウスによるベートーベン・ピアノソナタ全集(全32曲)を求め、「旧約・新約」を交互に聴いている。確かにベートーベンになると内省的・叙情的、言わばより近代的な要素が加わり、「新約」との指摘は言い得て妙かもしれない。

モーツァルトについては、弦楽四重奏曲・五重奏曲の全集を聴いている。特に晩年に当たる31歳の時に作られた第3番(ハ長調)と第4番(ト短調)の五重奏曲。それは、もはや「聖書」というより「天上の音楽」だ。もって生まれた天賦の才に加え、音楽家の父に連れられて5歳の時から始めた大旅行がそれを磨き上げ、空前絶後の音楽を生んだ。中野雄「モーツァルト 天才の秘密」(文春新書)によれば「モーツァルトは高度の作曲能力を『身に付けた』のであって、『持って生まれてきた』わけでは決してない。彼が持って生まれたのは『類い稀なる学習能力』であった」「苦しい大旅行は、好きでたまらない音楽を稀有の条件で向上させることの出来る喜びの時間だった」「こういう学習や技巧の練習に一切苦痛を覚えないという神経の強靭さこそ生得の遺伝子によるもの」とのことである。

もうひとつ、物理学者のアインシュタインもお母さんが本職のヴァイオリニストだったせいで、6歳からヴァイオリンを習い始めた。そのため左手の小指と薬指が特に発達し、それが脳に好影響を与えたとの指摘がなされている(小泉英明「アインシュタインの逆オメガ」文芸春秋)。研究所の中心に音楽ホールを作り、研究の傍らそこで皆で楽器を演奏していたエーデルマンという先生もいる。楽器演奏は手指と一緒に脳を刺激し発達させるという考え方だ。

聴くにつけ奏でるにつけ、音楽には大きな恵みがあるように思う。

(りいど27年8月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆4◆「静かな酒田」
2015年07月31日

6月某日、福島市での用事を済ませた後、山形県酒田市を訪ねる機会があった。酒田は最上川河口の港町で、人口10万人。江戸時代には庄内米を大坂経由で江戸に送り出し、豪商本間家を生み、東北一の商業都市として栄えた町だ。

福島から山形新幹線で新庄へ、そしてそこから二両編成の陸羽西線に乗り換え、最上川に沿って出羽山脈を越えていく。まずは深い山の中に大河がある風景に感嘆。最上川は全長230キロ。我らが夏井川は60キロだから4倍ある。山形の高山が大河を生み、沿岸で多くの人口を養ってきた。いわきは山が低い分だけ川も短く、人口も少なかったのかと改めて思わされる。

山地を出、広々とした庄内平野を通り、酒田に到着。地元の方の酒田弁の案内で市内の名所旧跡を巡る。まずは本間家ゆかりの美術館・旧本邸・別荘。旧本邸は250年前に建てられた。庭の松は樹齢400年で「臥龍(がりゅう)の松」と呼ばれる。「おごり高ぶるな、臥せよ」という本間家の理念を表しているとのこと。成程。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われた本間家だが、米の商いだけではなく、飛砂の害を防ぐ植林や公共事業で藩を支えた。その見返りに殿様から戴いた陶器類を陳列しているのが本間美術館である。歴史を感じる。

お昼は酒田名物ワンタン麺。作家の椎名誠氏絶賛の色紙が店の壁に貼ってある。確かに海鮮スープが古風かつ上品。

次に向かったのが土門拳記念館。酒田市名誉市民第一号になった写真家土門拳は全作品七万点を市に寄贈、それに応えて市は美術館を建てた。設計は谷口吉生。イサムノグチ・勅使河原宏・亀倉雄策も協力、草野心平の「拳湖」と記した銘石も人口湖のほとりに置かれている。大変立派だ。

その後、本間家ゆかりの港の倉庫群などを経て、海を見下ろす日和山(ひよりやま)公園へ。近くの古い三階建ては映画「おくりびと」の舞台となった。風情がある。そうこうする内に日本海に夕日が沈み始めた。それを見ながら魚料理屋へ。朝捕りのイカ刺し、メバルの煮付け、オコゼの唐揚げ、そして庄内米「つやひめ」のおにぎりを戴く。お酒は地元の「東北泉」。

お土産は、羽黒山ゆかりの和菓子「古鏡」と奈良漬。自分用には骨董屋で九谷の煎茶碗セットを購入、伝統ある磯草塗の急須置も一枚求めた。かっての繁栄は過去のものとなったが、その残り火を大事にしながら静かに悠然と佇んでいる町・酒田。いわきの江名地区の空気に通じるものがあった。

次の朝、早く起きたので一時間位散歩しようと思い、宿を出る。最上川が流れている。これを渡り切れば、本間倉庫の方に出られると聞いたので「よしっ」と歩き始めた。左手の鳥海山は靄っているが、右手には残雪の月山がくっきりと見える。足が弾む。大きな橋に来た。渡り切った。しかし倉庫は遠い。そしたらもう一本の川が見えてきた。今の倍くらいの幅がある。もう時間が無い。諦めて引き返しながらよく見ると、渡った大河は京田川で、その先の洋々たる大河こそが最上川だった。

(りいど27年7月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆3◆「しだれ桜を植える」
2015年06月30日

陽気が良くなり、食べ物、酒、そして花の季節となった。世の中では新年度が始まって気ぜわしい時期でもあるが、その傍らでそれら三つも楽しみたい。

 

まず食べ物であるが、今の日本はなんと言っても世界に冠たる料理大国だと思う。それはプロの世界だけではなく、一般の家庭料理も含めてである。なぜなら書籍、雑誌、新聞、テレビなどで、次から次へと色々なレシピが競い合うように発表される。その中から気に入ったものを選んで、その通りに作れば、家庭で「分とく山」や「ラ ベットラ 落合」などの料亭、レストランの料理を一応楽しめるということだから。

ところで最近我が家で人気のレシピは「ベルベル オムレツ」だ。しばらく前のテレビで、女優の菅野美穂さんがアフリカ・モロッコの村を訪ね、そこのレストランで昼食にそれを注文した。材料はトマトと玉ねぎと卵。調理法は、まず①トマトとたまねぎをサイコロに切ってオリーブ油で炒める。②そこに塩・胡椒・クミン・パプリカをまぶす。③最語に卵を流し入れ、ふたをして弱火で5分ぐらい蒸す。これはベルベル人の家庭料理なのでシンプルこの上ないものだが、不思議な味わいで飽きない。なおコクを出すために、ホタテの貝柱かベーコンなどを少し入れてもいいと思う。

 

さて、次に楽しむべきはお酒だ。最近感服したのが、二本松の某酒造の「特別純米古酒」。なんと20年物で琥珀色になっており、ラベルにはシェリー酒の香りと書いてあった。それを市内某宅で、清の時代の磁器の杯でいただいたのだが、古酒と骨董の二つが醸し出す、時間がなせる業というものに脱帽させられた。それは柔らかい風格というものであった。

 

そして最後を飾るのは花である。私は政治の世界にしばらく居り、最後の十年は吉野正芳君が選挙の相手方であった。彼は高校の同期生でもあるので、選挙期間以外は仲良く付き合っていたが、そんな彼との戦いも前回の選挙で一段落となり、私は充電の期間に入った。

一方でつい先日、ピッピという名の我家の猫が寿命を全うして庭に埋まった。その供養のためにも、また自分の充電のためにも、この際庭の真ん中に木でも植えようか、と考えた。

そんなある日、中通りに出向く用事があり、その帰りに樹齢千年の「三春の滝桜」を訪ねることになった。ちょうど満開の、地球上の生命の象徴のようなしだれ桜をじっくりと拝見し、その風情を脳に焼き付けながら小道を戻ると、苗木屋が並んでいる。そこの親父さんに「しだれ桜の丈夫そうな苗を」と頼んでみた。親父さんは2メートル程の元気そうなのを勧めてくれた。それを大事に持ち帰り、腐葉土を買い求め、庭に植えた。植え終わった後、苗木に付いていたラベルをはがし、家の中に戻って、お茶を飲みながらラベルをよく見てみた。すると苗木の生産者、つまりあの親父さんの名前が書いてあった。その名前はなんと「吉田正芳」であった。

(りいど27年6月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆2◆「最後の会話」
2015年05月31日

先日、父が92年の人生の幕を閉じた。

大正11年に日立市の海辺で七人兄弟の末っ子として誕生、20歳の時に徴兵入隊、戦後26歳の時に平の商家に婿入り、以来家業に精を出し3人の子を育て、酒と旅行と詩吟を楽しんだ人生だった。

死の2か月余り前に、お腹の不調を訴えて入院した。1週間位前には本人も「そろそろだな」という自覚を持ったように思う。そこで私から人生を振り返ってもらえるような質問をしてみた。

■小さい頃はどんなことをして遊んだの?

学校から帰ると、だいたい畑の手伝いだったよ。

■学校はどうだったの?

実は卒業証書をもらってない。小学校は1年飛ばしで中学校に行ったし、時代が時代だから、そこも1年繰り上げ卒業で鉱山に勤めた。

■鉱山時代の思い出は?

四国の銅山で採鉱課の主任になった。地元の人が時々ウサギを捕まえて鍋にしてくれたなあ。

■戦争にも行ったね?

宇都宮の部隊に入って満州そして南方へ行った。終戦はパラオ本島。隣のペリリュー島では水戸の連隊が全滅だった。

■すぐ上の兄さんは戦死してしまったね?

ミッドウエー海戦だった。芯のある孤高の人で将来有望だったがね。

■婚約時代はお母さんとどこでデートしたの?

鎌田の夏井川の土手をよく散歩した。松が岡公園にも行ったなあ。

■結婚式の思い出は?

まだ配給の時代で砂糖が貴重品だったが、市川パンの社長さんがカステラを引き物に作ってくれた。有難かったね。

■家業の茶販売業の方は?

戦後60年でお茶の味は随分変わった。品種改良が進み、冷蔵庫が出来たのが大きかった。

■90年生きてきて、印象深い食べ物は?

八幡様の旅行で相馬の原釜港に泊まった。その朝飯に出た煮魚はうまかった。その日に採ってきたものだった。ドンコかもしれない。

■思い出の景色は?

那智の滝。日光の中禅寺湖で見た一本の白樺。外国ではアメリカのヨセミテ公園。カナダのロッキー山脈。ブラジルも行けてよかった。

■好きな歌は?

日立の父親は消防団長だったので、酒盛りが多かった。脇で聞いて覚えたのが「磯節」。森山良子の「さとうきび畑」もジーンと来る。

■人生哲学は?

「のんびりと」だね。磯節のリズムだよ。

 

死の前日、食べたいものは何と聞いたら「お煎餅」と言うので口に入れてみたら、一かけら食べて「満足」と言ってくれた。

その後亡くなり棺に納まった父に、私は「お父さん、また会おう!」と声を掛けてみた。父は「うん」と言ったような気がした。それが最後の会話になった。

(りいど27年5月号掲載)

ひとやすみエッセイ◆1◆「10着の服」
2015年04月30日

社会人になって40年余り。おそらく毎年一着は背広を買ってきたと思う。そうすると累計で50着くらいになる。ネクタイも然り。気が付いてみると、洋服ダンスが洋服で溢れかけている。どこに何があるのか、判然としなくなっている。ちょうど時間もできた、整理でもするか、と思った時に手にしたのが、「フランス人は10着しか服を持たない・・・パリで学んだ暮らしの質を高める法」(大和書房)という本だった。
あるアメリカ人女性が、パリのお宅にホームステイすることになったが、割り当てられた部屋に、洋服用の小型クローゼットが一つしかないのにビックリする。そしてその家の人たちが皆それで十分間に合っていることに再度びっくりする。例えばそこの主人のクローゼットには、スーツ3着、セーター3枚、シャツ4枚、ネクタイ3本しかぶら下がっていない。その少数の服を繰り返し着るのがパリジャン風なのであった。アメリカ人女性はその習慣に馴染み、いつしか「上質な物を少しだけ持ち、大切に使う」という価値観の転換を経験することになる。
これを読んでピンと来たので、私も早速に挑戦を始めてみた。3年着てないものは、これからも着ないだろうから、そういうものから処分することにした。そしてタンスを整理してみたら、なんと若い頃に外国で買った皮ジャンが出てきた。3年どころか30年も着ていない。思い出はあるが、思い切ってゴミ袋に突っ込んだ。背広、シャツ、大分やった。洋服ダンスに隙間が出来、残った服がホッとしたような雰囲気でぶら下がっている。いいことをした、パリジャン並みとは言えないが、アメリカ型の大量消費文明からは脱出、そんな気持ちがした。
同じことを本についても実行した。もう読まないと思われる本は、お世話になったものでも古紙類に出す。1月・2月・3月と3回出して、本棚もよほど楽になった。思い出の民芸品なども置けるようになり、毎日眺めるのが楽しくなった。問題はネクタイだ。40年間の時々に着けた思い出のあるものが多い。頂いたものもある。形見というものもある。なかなか思い切れない。これは第三者による査定委員会を作った方がよい、かみさんを委員長にして判断してもらおうか、と思っている。
(りいど27年4月号掲載)

エッセイ アーカイブ


SSL GMOグローバルサインのサイトシール 公式サイトの確認方法