30才の成人式inいわき  いわき市ワシントンホテルにて
2013年12月30日
  • 今日は「30才の成人式」が大変盛大に開催され、誠におめでとうございます。小平会長はじめ、企画・立案・実行された実行委員会の皆様のパワーに、心から敬意を表します。

 

  • 今や人生90年の時代です。90年を三つに分けるとして、皆さんはその第一ステージが終わったところ。いわば修業時代が終わり、これからは社会の中軸とし て、仕事に家庭に趣味に、大いに活躍する、次のステージに入るわけです。私のことをちょっと申し上げると、30歳の時は結婚して子育てがはじまり、会社の 仕事の関係で南米のブラジルに住んでいました。その後35才でUターンを決意していわきに戻り、それがキッカケで市会議員や国会議員をやらせていただくこ とになりました。そういう意味では、30代は人生の転機にもなり得る時期とも思います。

 

  • そういうことを踏まえて、今日は第二ステージの入り口に立つ皆さん方に、三つのメッセージを送りたいと思います。一つ目は「人はそれぞれ、自分は自分」と いうことです。それぞれの人生は違って当たり前。他人のことは羨んだり、蔑んだりせず、自分は自分、ゴーイング・マイウェイ。そう割り切れば、何も怖いこ とはありません。二つ目は「人は褒めるに限る」ということです。人間一番うれしいのは、評価された時、褒められた時です。そのうれしいことを人にやってあ げる。そうすると必ずプラスの反応が返って来ます。人間関係がスムーズに回り始めます。ネクタイでも髪型でも、ちょっと褒める。それを心がけていただきた い。三つ目は「なるべく本を読む、なるべく歩く」ということです。私が知っている限り、本を読まないでそれなりの立場に着いた人はありません。毎日本を開 いてもらいたい。また歩くことは動物としての人間の基本です。歩けば頭も回転する、胃腸の調子もよくなる、足腰の筋肉も付く。心身の健康のために大いに歩 いてください。以上三つのメッセージを皆さんに送りたいと思います。参考にしていただければ幸いです。

 

  • それでは今日の30才の成人式のご成功、そして皆さん方の前途に幸多からんことを祈念して、ご挨拶といたします。有難うございました。
弔 辞
2013年07月08日
  • 今は亡き上坂昇先生の御霊に、心から哀悼の誠を捧げます。

 

  • もう20年以上も前になりますが、いわき市にゴルフ場の乱開発が押し寄せてきた時代がありました。市内だけでも50カ所の計画。そんな折に結成されたのが 「自然を大切にするいわきの会」でした。政界から引退された直後の上坂先生、そして柳沢一郎先生、石川陽山先生、という磐高野球部三人組が中心です。我々 も入れていただき、月に一度か二度、石川亭に集まって議論をし、それが終われば、すきやきを食べ、お酒を飲み、ありとあらゆることについての先輩方のお話 に、お腹をよじりながら笑ったものでした。まさに「竹林の七賢人」。洒脱でとらわれない如水の交わりでした。メンバーのお一人、演出家・河野和平さん作の 「河童の恋の物語」の上演が、会活動のハイライトになりました。

 

  • その後、縁あって私は議員の道を歩むことになりましたが、そんな私にとって、上坂先生はまさに政治の上でのお父さんという存在でした。握手の仕方、乾杯の 仕方、選挙の仕方から始まって、ありとあらゆることを教えていただきました。私は昭和二十四年の生まれですが、実は先生のご長男・たか志さんも同年のお生 まれだったことを、自伝である「順と逆」を通して知りました。強い御縁を感じる次第です。

 

  • 上坂先生は、旧平市議二期、県議二期、衆議院六期の輝かしい政治歴の他に、平藩の縁故者の集まりである平安会の会長、磐高野球部OB、エノケンのお宅の家 庭教師など驚くべき多面的な活動をされてきました。そのせいもあって通常の議員には考えられない奥深さをお持ちでした。例えば市議会議員時代には、「人を 出し抜かない」ことがモットーでした。各地で報告会を開く時には、地元の議員にも来てもらって、一緒に報告会をしたとのことであります。いかにも平藩の重 役の懐、知情意のバランス、そして颯爽としたベースボールマンであります。「人生には誰にも転機がある。その転機をどう掴むかで、進む道が変わって行く」 上坂先生の言葉です。まさにその通りの人生を先生は送られました。

 

  • 私達は、先日の田畑金光先生に次いで、上坂先生という真に心から尊敬できる人格者リーダーを失いました。力を合わせて、お二人の遺志を継いでまいりたいと 思います。上坂先生、どうぞ安らかにお眠り下さい。そして残されたわれわれの行く手を、高いところからどうぞ見守って下さい。改めてお願い申し上げまし て、弔辞といたします。
いわき市消防春季検閲式 いわき市好間工業団地多目的広場にて
2013年04月29日
  • 皆さん、おはようございます。今日は春季検閲式、誠におめでとうございます。また日頃の消防団活動に心から敬意を表します。

 

  • 消防団員254名、消防職員27名。これが2年前の大震災の殉職者の数であります。併せてなんと300名近くの方が、命を落として人々を守りました。壮絶なことであります。忘れることはできません。

 

  • 日本列島は、地震活動期が続きます。引き続き、国を挙げて、防災・減災に備えねばなりません。

 

  • 消防への期待はますます高まっております。確かで安全な消防が目標です。いわき市消防の更なる充実・団結を強くお願い申し上げて、国会議員代表のご挨拶といたします。有難うございました。
弔 辞
2013年04月26日
  • 今は亡き田畑金光先生の御霊に、心から哀悼の誠を捧げます。

 

  • 今から約20年前になりますが、東京六大学OB会対抗のソフトボール大会をやろうという話が持ち上がりました。そこに参加するためには、まず「いわき赤門 会」というOB会を作らねばなりません。それでは田畑先生に初代会長になっていただこうと、何人かでお願いに参りました。田畑先生と直接のおつきあいをい ただいたのは、その時からだったと思います。

 

  • その後、私は縁あって市会議員から国会議員へと政治の世界を進むことになりましたが、それからは、折に触れ勿来のお宅にお伺いし、色々なご相談をいたしま した。その時の田畑先生のお話の的確さは驚異的というべきものでした。情勢分析、人物評価、心構え、打つべき手、冷静にかつ暖かく、しかも楽しそうにお話 しをいただきました。「一番の政治家は、政治を楽しめる人」という趣旨の言葉がありますが、田畑先生にピッタリであると思わされました。

 

  • 先生は奄美大島のご出身、大阪に出て高等学校に学び、さらに東京に出て法学を修め、満州に渡ってお勤めになり、終戦後は、いわきの炭鉱に就職、その後政治 の世界に入られ、県議会、衆議院、参議院、いわき市長、とお勤めになられました。奄美からいわきまで、人生の節目、節目でジャンプすることを躊躇しない、 勇気ある決断が連続する人生だったと思います。結果として、いわきは勿論、福島、日本、そして中国と、広い世界における「精神的な支柱、リーダー」になら れ、その役割を最高のレベルで遂行されました。これからも、色々難しい判断に迫られる時、田畑先生ならどうされるだろうと、多くの方々が繰り返し、繰り返 し、先生を思い出すことになると思います。

 

  • 偉大なる人、田畑金光先生、満百歳を目前にご逝去されました。心からご冥福をお祈りするとともに、残されたわれわれの行く手を、中村秀樹君を筆頭に、高いところから見守っていただけますよう、改めてお願い申し上げまして、弔辞といたします。
吉田泉のスピーチ アーカイブ


SSL GMOグローバルサインのサイトシール 公式サイトの確認方法